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名著「ワークシフト」で未来を認識する④「経済的繁栄から締め出される人」

⑩あなたの未来 ・ 2025年を生きる
この記事は約11分で読めます。
《 運営者から皆さんへ 》
2025年の未来社会を予測した名著「ワークシフト」を紙しばい形式でまとめました。

PDFをダウンロードして、サクサクと読み進めていけば、未来が見えるはずです。
あなたが、今からどんな準備をするべきか、それも分かるはずです。
「あと5年ある」「たった5年しかない」・・・どう感じるかは、あなた次第です。
by まるきん

 

第2部 「漫然と迎える未来」の暗い現実

【 第4章 繁栄から締め出される未来 】

 

豊かさの新しい決定要因

これまでの世界では、どこで生まれたかによって、
ある人が経済的にどのくらい成功できるかがおおむね決まっていた

ヨーロッパやアメリカで生まれた人は、最初からきわめて有利な立場にあり、
インドやエジプトの農村に生まれた人は、最初から経済的な繁栄の枠外に押しやられていた。

2025年の世界では、その状況が変化しているはずだ。
人々の経済的運命を決定する要因が変わるのだ。

2025年の世界では、どこで生まれたかではなく、
才能とやる気と人脈が経済的運命の決定要因になる。

たとえばサハラ砂漠以南のアフリカやインドの貧しい農村に生まれた人でも、
聡明で意欲があれば、グローバルな人材市場に加わり、豊かな生活を送れる可能性がある反面、
たとえばアメリカや西ヨーロッパに生まれても、
聡明な頭脳と強い意欲の欠けている人は下層階級の一員になるのだ。

「勝者総取り」社会で広がる格差

アメリカでは2010年、所得最上位20%の層の平均所得が最下位20%の層の9倍に達している。

このまま格差が拡大し続ければ、2025年には、ごく一握りの成功者が
莫大な富を独占する「勝者総取り」の社会が出現する。

格差が拡大すれば、人々の生活にどのような影響が及ぶのか。

はっきり言えるのは、人々の健康と幸福感を大きく左右するのが所得の金額の絶対値ではなく、
ほかの人との所得の格差だという点だ。

物質主義的傾向が強い世界では、所有物がその人の成功の度合いを判断する物差しになるのだ。

社会で格差が拡大すると、社会不安が増大する可能性が非常に高まる。
社会の中の信頼感も損なわれるだろう。
一般に格差が大きいほど、人間は他人を信頼しなくなる傾向があるからだ。

信頼が減退すれば、人々はあまり協力し合わなくなり
ものごとを共有しなくなり、他人の行動に関して楽観的な考え方をしなくなる。

劣等感と恥の意識が強まる

格差が広がれば、人々の不安が強まる可能性も高まる。

先進国では30年以上、人々の感じる不安が増大し続けている。
不安を感じさせる最大の要因はおそらく、自分が成功していないという思いだ。

自尊心が傷ついたり、社会的地位が脅かされていると感じたりするとき、私たちは不安にさいなまれやすい。

成功している人と自分の差を思い知らされれば、とりわけ自尊心が傷つき、劣等感が強まる。
つまり社会で格差が大きいほど、社会に漂う不安感が増すのである。

不安にさいなまれると、どういう問題があるのか。
最も悲惨な一面としては、不安に苦しめられている人は
そうでない人と比べて、平均すると早死にする傾向がある。

ナルシシズムと自己アピールの時代

なにを所有し、なにを消費するかを基準に人間を格付けする傾向が強まると、
もう一つ興味深い現象が生まれる。

ナルシシズムが蔓延するのだ。

自分がどういう人間かを他人に説明し、自分を宣伝し、自分を安心させ、
自分がどう思われているかをしきりに知りたがる傾向が強まるのである。

2025年の人々は、自分の社会的地位に不安を感じているので、
謙譲の美徳を実践するより、自己アピールに余念がない。

自分のことを昔からよく知ってくれている人たちに囲まれているわけではなく、
しかも、あらゆる情報がたちまち世界中に知れ渡る時代に生きていると、
あらゆる自己宣伝戦略を駆使して、自分がいかに素晴らしい人間化をアピールし続けなくてはならないのだ。

繁栄から締め出される未来を生む要因

未来の暗い側面の一つは、貧しい国だけでなく、
先進国でも経済的繁栄から締め出される人が珍しくなくなることだ。

そういう事態を生み出す要因はいろいろある。

まず、バブルの形成と崩壊が繰り返され、経済が不安定化する効果、
それに、高度な専門技能がない人たちが次第に機械やロボットに取って代わられるようになり、
きわめて多くの人が職を失う

2025年に労働市場で競い合う相手は、機械やロボットだけではない。

地球の裏側にいる何十億人もの人たちとも競争しなくてはならない。
そのうえ、グローバル化に伴い、先進国の経済がますます厳しい状況に置かれ、
政府も企業も個人も倹約を余儀なくされる。

とりわけ優秀な人材は次第に出身国を飛び出し、
自分と同じような考え方と専門技能・能力の持ち主が集まっていて、
豊かな生活を期待出来そうな土地へ移り住むようになる。

その反面、収益性の高い産業が育つ余地がほとんどない地域も出現する。

そういう土地にとどまって生きる人たちは、高給の職に就けるチャンスが極めて限られる。
人生の選択肢は乏しく、未来への明るい見通しもほとんどいだけない

苦しい生活をしいられる高齢者も増えるだろう。

景気の良かった時代に老後の生活資金を十分に蓄えた人もいるかもしれないが、
多くの人は蓄えが足りず、60歳代半ば以降も引退生活に入れない。

しかも、生計を立てるために働き続けようにも、いい仕事は簡単に見つからないだろう
また自然災害などの環境上の惨事がますます頻繁に起きるようになり、
そのような惨事にたびたび見舞われる地域が経済的な繁栄から取り残される可能性が高い。

バブルの形成と崩壊-グローバル化の要因

未来の世界で多くの人が困窮した生活をしいられる主たる要因の一つとしては、
バブルの形成と崩壊が繰り返されることが挙げられる。

言うまでもなく、バブルの形成と崩壊は、最近になって生まれた現象ではない。

17世紀のオランダで起きたチューリップバブル以来、
投資の世界では、いとも簡単に狂乱が理性を脇に押しやってきた。

しかし近年は、テクノロジーの進化とグローバル化の進展により世界の一体化が進んだ結果、
ローカルなバブルや相場暴落の衝撃波がその地域にとどまらず、
一瞬のうちに全世界に波及するようになった。

2008年以降の経済危機では、問題が世界の広い地域に波及した。

陶酔的な自信過剰と根拠薄弱な物語がアメリカのカリフォルニア州など、
先進国の一部の地域でバブルを作り出し、それがサブプライムローン危機につながり、
さらには世界経済全体にはなはだしい打撃を及ぼした。

急速にグローバル化が進んで、世界がますます一つに結びつくようになった結果、
このような現象がおきるようになった。
この点を踏まえると、働き方の未来を考えるにあたっては、
経済的不安定に見舞われる可能性を計算に入れる必要がある。

テクノロジーによる雇用喪失-テクノロジーの要因

未来の世界で人々が繁栄から締め出される要因としては、
テクノロジーが仕事の世界に及ぼす影響も見落とせない。

2025年の世界では、機械が仕事のあり方を大きく変えているだろう

高度な専門技能を必要としない単純労働に就いていた人たちは、
ロボットや賃金の安い国の労働者に職をどんどん奪われていく

興味深いのは、アメリカやドイツなど、テクノロジーの導入が速く進んでいる国々の状況だ。

これらの国では、単純な繰り返し作業はコンピュータに取って代わられはじめたが、
イノベーションや問題解決が必要とされる複雑な仕事はまだ人間が担い続けている。

このような分野では、テクノロジーが人間の技能と経験を補完する役割を果たしているのである。
テクノロジーが発達する世界で職を見つけられるためには、高いレベルの専門技能が必要なのだ。

新興国の台頭-グローバル化の要因

新興国が台頭するにともない、世界の消費者の選択肢は拡大し続けている。

テクノロジーが進化し、グローバル化が進んだおかげで、
コンピュータの操作一つで膨大な種類の商品やサービスの質と価格を比較し、
自分の好みのものを選んで買うことが当たり前になった。

消費者の行動の変化は、すでに経済のあり方に大きな影響を及ぼしはじめている。

市場で生き残るために、企業は商品やサービスの質をたえず改善し、
コストを徹底して削減し、新たな企業買収の機会に抜け目なく目を光らせ、
休みなくイノベーションを推し進めて、市場に送り出す商品やサービスを刷新し続けなくてはならなくなった。その努力を怠れば、消費者はあっさりほかの企業やブランドに乗り換えてしまう。

ビジネスの世界で競争が激化する結果、雇用は新興国など、賃金の安い地域にますます流出する。

私たちは、地球の裏側にいる無数の人々と仕事を奪い合うようになるのだ。
新興国の急激な成長は1990年代半ばに始まったが、この現象は今後さらに加速する可能性が高い。

エコノミスト誌のエイドリアン・ウルドリッジは、その理由を4つ挙げている。

第一に、新興国の企業は資本市場で資金調達がしやすくなり、
これまで先進国企業の独壇場だった大型企業買収が可能になる。

第二に、新興国は人口が多く、国内に消費者と労働者を潤沢に抱えている。

第三に、新興国の企業は大量生産を得意とし、新しい市場を拡大していく可能性が高い。

第四に、先進国の超優良企業の中に、すでに新興国にイノベーションと
成長の源泉を求める動きが見え始めている。

もう一つ注目すべきなのは、2010年前後に先進国を苦しめている景気後退が
働き方の未来に影響を及ぼす可能性があることだ。

消費者と企業、政府が財布のひもを締める傾向は、向こう数十年にわたり、
多くの先進国の経済を特徴づける要素になるだろう。

2008年以降の世界金融危機が浮き彫りにしたのは、
先進国の消費者と政府がそれまで10年間、
過剰な借金をして身の丈以上に金を使ってきたという事実だ。

明らかになりはじめたのは、先進国で大散財の時代が終わり、
大倹約の時代がやってくるということだ。

各国政府は財政支出を減らすための措置を導入しはじめているし、
消費者も失業と資産減少を恐れて、これまでより安い商品やサービスに乗り換えるなど、
支出を減らす傾向が目立つようになった。

新しいグローバルな貧困層の出現-グローバル化の要因

未来の世界では、これまでの先進国と途上国の色分けとは関係なく、
世界のあらゆる地域に貧困層が出現する

引く手あまたの人材が続々と一部の地域に引き寄せられる半面、
グローバルな人材市場に加わる専門技能や能力のない人たちは、
経済成長から取り残された土地に縛られる。

一体化が進んだ世界では、ごく一握りの地域が世界経済のけん引役になる。
高い能力をもった人材が世界全体に均等に散らばるのではなく、一部の土地に集中する傾向が強まるからだ。

クリエイティブ・クラスター(創造的人材の集積地)には、創造性の高い優秀な人材が移り住んでくる。

エンジニアリングにせよ、バイオテクノロジーにせよ、その他のテクノロジーにせよ、
高度な専門技能と才能をもつ人材は、自分と似たような志向や能力を持つ人たちと
寄り集まって生活するようになる。

自然が美しい土地や気候が快適な土地が好まれる可能性もある。

そういう土地には、創造的な人材の生活のニーズを満たし、
わがままにこたえる仕事に就く人たちも集まってくる。
マッサージ師、美容師、料理人、旅行代理業者、コーチ、教師、小売業者などである。

ベビーブーム世代の貧しい老後-人口構成の要因

未来には、世界中で人々の寿命が延び、生産的な活動に携わる高齢者が増える。

2025年には65歳以上の人が世界の人口の10%を占めるようになる。
75歳をはるかに超えても健康を保っていて、働き続けたい人も多くなるはずだ。

知的な刺激を得るため、健康な肉体を保つため、人との繋がりを絶やさないために働きたい人もいるだろう。

意義のあることに時間を使うために仕事を続けたい人もいるに違いない。
しかし現実には、生活資金を得るために働かざるをえない60歳以上の人が極めて多いはずだ。

1950年代に現在の企業年金の仕組みが設計された当時に想定されていたのは、
20歳で就職し、同じ会社でずっと働き続け、65歳で退職し、5年か、
長くてもせいぜい10年間の引退生活を送って、70歳~75歳で死ぬという人生だった。

未来の世界では、こうした前提が崩れる。

なにより、一つの企業で生涯勤め上げる人が減る。
そもそも、同じ会社に5年以上勤める人が珍しくなるだろう
そうなれば、勤務先の会社の企業年金制度を利用して継続的に年金拠出を続ける人も減る可能性が高い。
それにせっかくコツコツと年金を蓄えても、好景気と不景気の波にもまれて運用損を出し、
資金が大きく減りかねない。

未来の世界で大きな問題になるのは、65歳以上の人が
どの程度働いて収入を得られるのかという点だ。
高齢者を労働力として受け入れることに、企業は腰が引けている

では将来、65歳以上の人たちはどういう職に就くのか。

多くの先進国では、政府の規模が食傷されて、ボランティア団体や非営利組織の役割が拡大する。
そうした組織で雇用されて、公的機関と協力しながら地域コミュニティの再生や
社会奉仕活動に携わる高齢者も増えるだろう。

もちろん、これは選択肢の一つに過ぎない。ほかにも様々な可能性がある。
人口統計上の趨勢からはっきりと言えるのは、2025年の世界では65歳以上の人口がかつてなく増え
この年齢層がますます働き続けようとすることだ。

環境上の惨事による打撃-エネルギー・環境問題の要因

産業革命以降、化石燃料に依存するエネルギーの枠組みを採用してきた結果、
地球の大気中に蓄積されている二酸化炭素の量は約40%増えた。

世界の多くの地域はいまも化石燃料に経済を依存しており、
世界の二酸化炭素排出量は年間約80%のペースで増え続けている。

二酸化炭素の蓄積の量は、地球の歴史を通じて氷河の形成と溶解のサイクルにともなって
大きく増減してきたが、化石燃料を生産活動のエネルギーとして用いはじめて以降、
増加のペースが不自然に加速し、地球環境が耐えられる限界を踏み越えつつある。

 

<つづく>

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