1990年代の転職活動を思い出してみた
皆さん、こんにちは。
本日は特にテーマはありません。
ただ、これは転職ブログなので、転職に関することを書きたいと思います。
さて、今日現在、私たちが正社員として転職する際に、求人情報を得る手段として、
最も身近なものはリクナビやdodaといった、転職サイトだと思います。
つまりインターネット経由での応募です。
かつて、1995年、マイクロソフトのWindows95が発売されて以降、
インターネットが爆発的に普及しました。
その後、ネットで求人を探すのが主流になって、ずいぶんと時間が経ちますが、
それ以前は「求人情報誌」と呼ばれる雑誌が主流でした。
紙媒体です、アナログです。
たとえば代表的なものとして、リクルートのB-ing(ビーイング)がありました。
サイズは、A4サイズか、それよりちょっと小さいくらいだったと思います。
厚さは、電話帳くらい。
値段は、100円。
そこに何百もの求人広告が、掲載されている雑誌です。
求人企業がお金を払って、広告を掲載します。
求職者がお金を払って、その求人雑誌を買います。
つまり、リクルートは、法人からも個人からも、両方から収益を得る、
まさに往復ビンタです。(笑)
あれは儲かったはず。(笑)
求人情報誌
1990年代、当時、私は転職する際に、書店で求人情報誌を買っていました。
通常、毎週決まった曜日に最新号が書店に並び、一週間したら次の号と入れ替わる。
毎週発行でしたので、書店で売っているのは、常に鮮度の高い求人情報でした。
求人情報誌の作りは、だいたい似ていて、巻末にインデックスがついています。
その雑誌に掲載されている企業の会社名、連絡先一覧です。
ちなみに、表紙から数ページは、カラー印刷の両開きの特集企業ページ。
ここが一番値段が高く目立つので、その号の主役でした。
そこに掲載される求人は、様々です。
- 社長の顔写真が採用情報よりも大きなページ。
- 若い社員たちが、青空の下で「エイエイオー」とこぶしを突き上げている写真。
- 製造工場で、作業服に身を包んだ温和そうな人たちの、笑顔いっぱいの写真。
ページレイアウトにも、色々なバリエーションがありました。
1ページまるごと1社だったり、1ページを4社でシェアしていたり。
企業が支払う広告料の金額によって、枠の大きさは変わります。
当然、お金を持っている会社は1ページまるまる使って、求人掲載。
予算が少ない会社は、1/8ページの枠だけ買って、求人掲載という感じでした。
特に、零細企業は、本当に小さい求人枠しか掲載がなく、いつも情報不足でした。
「応募する気にもならない」というのが、読者としての、正直な感想でした。
ブラック企業の見分け方を学ぶ
さて、ここで、私は大事なことを学ぶことになります。
ブラック企業の見分け方です。(笑)
紙媒体だろうが、インターネットだろうが、匂いは同じです。
「アットホームな会社です」
この言葉がある会社は、なるべく避けるようにしていました。
理由は、人間関係が悪く、それで退職する社員が多い会社だからです。
よく言えば、アットホーム。
悪く言えば、ワンマン社長の奴隷。
もっと言えば、「オマエは何で出来ないんだ」のパワハラまがいのスパルタ人生論。(笑)
これは、人材紹介コンサルタントをやっている今でも、役立っています。
こんな会社から、うかつに人材紹介の依頼を受けると、紹介してもすぐに退職されるからです。
つまり、私の仕事上、最悪な事態。
自分が推薦した候補者の人生を狂わせる危険性があります。
ご本人だけでなく、その家族まで巻き込む危険性があります。
なので、昔も今も、私はブラック企業からの求人はやりません。
人選の依頼を受けることもありますが、だいたい1ヶ月程度、放置してから
「ちょっと人選しましたが、なかなかご推薦できませんでした」と社長へお断りの電話を入れます。
「20代で年収1000万円も可能です」
営業系の仕事には、こういう表現もよくありました。
普通に、常識的に考えて、高すぎる年収です。
特に「可能です」という表現が、ひっかかります。
「可能か、不可能か」という「イエス・ノー」で書いている時点で、とても怪しい。(笑)
ぜったいに、何かの「からくり」があるのだと誰でも分かりますよね。
でもそれが何なのかは、求人情報誌には書いてありません。
応募して、面接を受けないと、分からない仕組みでした。
ここが悩みどころで、中身が知りたいけど、自分で行くのは怖い。
こうなると、幽霊とか、心霊スポットとかに行く感じです。
なぜ怖いかというと、大体の場合は、ブラック企業だからです。(笑)
営業であれば「契約を獲ってくるまで、会社に帰ってくるな」みたいな会社です。
現場マネージャーは根性論が好きな「鬼軍曹タイプ」で、よくあるタイプの会社でした。
数字が上がらない人、気が弱い人とかは、会議の時にさらし者にされて、翌月に退社する。
毎月、その繰り返しです。
だいたいにおいて「メンタル面から人を追い込んでいく」会社ばかりでした。
「将来の幹部候補を大募集」
これは若い人を募集する会社に多く見られる表現です。
ただ、たまたまある時、ハタと気付きました。
これは考えてみれば、ごくごく当たり前のことですが、
その会社に入社した若手社員は、全員が将来の幹部候補生のはずです。
だって「将来の」ですから。(笑)
5年後か、10年後か、20年後か、いつとは書いてありません。
つまり「将来の幹部」という言い方は、うそではないと思いますが、
若い人であれば、実は「誰にでも当てはまる」言い方です。
当時、この甘い言葉に、だまされた人は多いと思います。
こういう会社には、特徴がありました。
人が大量に入って、ほとんどが辞めていく会社です。
「給料の安い若手を大量に雇って、使える社員だけ残す」
という考えの会社が多かったと思います。
さて、いったん求人誌に話を戻します。
そこでは、勤務地、業界、職種、雇用形態など、
見やすく分かりやすく分類されていて、カタログ雑誌をめくるように求人を見るわけです。
1冊丸ごと隅から隅まで読んで、アタリだと思う求人は本当にまれで、
ほとんど、興味のない会社、興味のない仕事ばかりです。
でも、当時はそれしか情報を入手する手段がないため、
毎回、宝探しをするつもりで、買っていました。(笑)
応募するためのステップ
さて、応募するためのステップの話をします。
もし、興味がある仕事、応募したい会社があれば、自分で履歴書を会社宛てに郵送する。
そして、1週間くらいで、書類選考の結果連絡が自宅の電話か、郵便で送られてくる。
30年前は、携帯電話が存在しなかったので、自宅で結果連絡を待つしかありません。
そこで書類を通過すれば面接となり、していなければ選考落ちで終了となります。
また同じ雑誌とにらめっこして、次に応募可能な会社を探すという流れでした。
そんなに回りくどいことをして、いちいち求人企業へ応募していたのか?
と聞かれそうですが、事実です。(笑)
流れとしては、
① 求人情報誌を買う、正社員の求人情報を眺める、興味がある会社をピックアップ。
② 手書きで履歴書を書く、履歴書用の顔写真を撮る、添え状を同封して企業へ郵送する。
③ 1週間ほど自宅で待機。書類選考NGだった場合は、その時点で終了。
④ 書類選考通過後は、一次面接、適性検査。
⑤合格したら二次面接、最終面接~内定です。
2020年現在、有料の正社員の求人情報誌は、ほとんど見かけません。
アルバイト、パートなどの短期の仕事は、コンパクトサイズの無料の冊子へと姿を変えました。
新聞求人広告、折り込み広告等もありますが、
たとえば、上場企業の正社員の求人等は、ほぼ掲載されていません。
紙の媒体から、ネット媒体へ
私たちが正社員の求人を探すやり方は紙の媒体から、ネット媒体に完全に置き換わりました。
大手の求人サイトでは、何百万という登録者(求職者人数)を売りにしているものもあります。
電車のつり革広告、インターネット広告などでは、求人サイトの広告が本当に多いと感じます。
皆さんにとってはごく当たり前の風景ですが、今はネットからのエントリーが主流です。
応募書類を郵送させる会社は、かなり少なくなりました。
同時に「手書きの履歴書」を提出させる会社も本当に少なくなりました。
会社ごとに採用ページ(または採用専用サイト)が設けられていて、
そこからエントリーするのが一般的になりました。
転職サイトもお手軽に使えるようになりました
①転職サイトに登録、転職希望条件の設定(勤務地、職種、年収、会社規模などの条件を設定)
②スカウトメールを待つ、その日以降、興味がある求人がメールされてくる。
③スカウトメール内のアドレスをクリックして、求人情報の詳細を確認。
④応募したいと思ったら「エントリーする」ボタンを押して終了。
要するに、サイト登録して、メールを待って、応募ボタンを押す。だけです。
登録したその日に、求人票がメールされることも普通にあります。
求人企業への応募、転職活動においては、以前と比べ物にならないほど、劇的に変わりました。
「昔と比べて、良くなったところと、悪くなったところは?」
という質問を受けそうなので、先に書きますね。(笑)
- 情報の量、情報の質。
- スピード。
- 応募の手軽さ。
- 結果連絡の早さ。
悪くなったところは・・・特にありません、本当に無いと思います。
良くなったところは、転職へのハードルが低くなったことです。
でも、特に一番、良くなったところは、ブラック企業に入る前に情報を入手できることです。
昔は本当に、今以上に「入ってみないと分からない」という「バクチ」でしたから。
「転職する=悪いこと」という図式でした。
30年前は終身雇用が当たり前の時代だったので、転職する人間は、裏切り者でした。
同業他社にでも移籍しようものなら、「恩知らず」「極悪人扱い」でした。
いや、本当に。(笑)
それからすると、今は本当に良い時代だと思います。
同業他社に移籍しても、さほどギャアギャア言われません。
さきほど、私は「昔と比べて悪くなったところは無い」と、あえて強気で押し通しました。
なぜなら、昔の日本人は、とにかく我慢をするのが良い=美徳とされていたからです。
あなたのお父さんも、お祖父ちゃんも、おじさんも、みんなで我慢。
私も、主任も、係長も、部長も、専務も、社長も、みんなで我慢した時代。
それが日本的なルールでした。
転職という言葉を出すのがいけないことのような雰囲気でした。
「みんな我慢してやっているのに、オマエは裏切るのか?」ということです。
当時の日本的慣習は、三つの特徴がありました。
年功序列、終身雇用、組合活動ですね。
同期入社であれば、基本的にみんな同じ給料。
だから、ここでも我慢です。
抜けがけをしてはいけません。
いったん入社したら、横並びということは、次にみんなが考えることは、
「どうせなら、なるべく最初から給料が高い会社を選ぶ」です。
いったん入っても、同じ分しか上がらないなら、なるべく給料水準の高い会社。
そういう時代でした。
自分の実力で給料を上げる。
変動給、実績給、成果給など、あまりなかったからです。
ちなみに、私は若い20代の頃「インセンティブ」という言葉の意味が分からず、
広告媒体の営業をされていたリクルートの社員さんに、聴いたこともあります。
彼は「しょうがねえなあ」という感じで、ちゃんと教えてくれました。(笑)
こうして振り返ってみると、確かに変わりました
ちなみに、私は過去を懐かしんだりするタイプではありません。
「あの頃は良かった」のような、若い頃を懐かしむようなことが、好きではないからです。
ただ、今こうして振り返ってみると、確かに変わりました。
個人の価値観を主張できて、自由に生きるということができるようになりました。
それにともない、選択肢も増えました。
医療も発達して、平均寿命も延びて、
さまざまなサービスが新しく生まれて、
あなたのお母さんの家事も楽になり、
夏も冬もエアコンが効いた部屋で、快適に過ごせる。(笑)
何より、いろいろな時間の使い方が出来ること。
ほんとうにあらゆる面で、良くなったように感じます。
「明日は今日より良い日になるさ」
さて、本日の今昔物語も、そろそろ終わりです。
私はこの記事を書いているうちに、なくなったものがあることに気がつきました。
なんか、それをここで言うのは、ちょっと悔しいのですが、
「明日は今日より良い日になるさ」
といった「無根拠の楽観論」です。
「今は大変だけど、自分たちには明るい未来が待っている」
昔はみんながその言葉を盲目的に信じて、つらい仕事を我慢してきたはずです。
でも結局、その先にあったのは、2020年の現在の姿です。
今では、こんな楽観的、能天気なことをいう人はいません。
若い人も、年よりも、男も女も、みんながみんな、老後を心配する、それが今の日本です。
国民全体における、年寄りの割合が増えたということもあります。
ただ、もう一度言いますが、
この30年で、明るい未来へのイメージは、確実に失われたような気がします。
「未来に対するかすかな希望」
が見えなくなった現在、私たちに残された選択肢は、それほど多くはありません。
「過ぎ去った日々を振り返ることなく、今を生きる」
ということが、人生全体へのスタンスだと思います。
「その日、一日を悔いなく生きる」
ということが、私たちがやるべきことだと、シンプルにそう思います。
本日も最後まで読んで頂き、有難うございました。